もしも未読のまま来てしまった人は『コロナの時代の僕ら』の「あとがき」だけでも読んでほしい。
旬な時期が過ぎてしまったような気がして、読むことに今さら感があったとしても、そんなことは全然関係ありません。
実は私もそんな一人でしたが、どうしても見過ごせない予感がして、遅ればせながら読了しました。
実際に読了して思ったのは、
「読む時期とか、全然気にしなくてよかった!」
そして
「むしろ、感染拡大後の時こそ読んだほうがいい!」
と思ったくらいです。
第一波が過ぎたように思える今、
もう一度、何が起こったのかを振り返り、確認する意味でもとても有効な書でした。
本編は、短い27のエッセイで出来ていて、何の予備知識もないままに読んでも十分にわかるだけの解説が施されている点も、ぶっちぎりで称賛したいポイントです。
数学的観点からのアプローチ
私は理系放棄の人間なのですが、それでも数学者の著者パロオ・ジョルダーノ氏の言う数字的な確証を得た説は興味深いものでした。
不謹慎と取られては困るのですが、本当に面白いと感じたのです。
例えばビリヤードの球にたとえた感染のイメージ、感染者に増減に対する線的動きの期待、車のスピードと衝撃の物理的観点。
物理や化学を大学受験で終えた人間のおぼろげな知識でも、十分わかるように解説しながら訴えてくる。
かと思えば、人々の心の奥の囁きをくみ上げ、その楽観さを、その不用心さを、これでいいのかと警鐘を鳴らす。
この、数学者の知識に基づいた解釈と小説家としての繊細で豊かな表現力の溶け合った文章こそが、魅力なのでありましょう。
世界を俯瞰で見ている著者の視点
そして何よりも、ステイホームの狭い自室の中にありながら、世界を俯瞰する視点が私たちの心にまっすぐ届いてきます。
アジア人への偏見や根拠のないウワザや、事態を軽く見る人々へ諫める発言を繰り返しながらも、それが嫌味に響かないのは、「僕ら」「これからの僕ら」と、主語が一人称ではないからです。
時に、頭でわかりながらも飛行機のチケットをなかなかキャンセルできない、迷う自分の心をさらけ出してみせる。
こんなに理知的な考えを持つ著者にも人間的な弱さがあることを、ポロリとみせてしまうところが著者と読者を「僕ら」というコトバで繋がらせているのではないでしょうか。
コロナの時代は始まったばかり
『コロナの時代の僕ら』の題名からもわかる通り、コロナの日々は過ぎ去りしものではありません。
著者は、今始まったばかりの「コロナの時代」を、どのように生きていくべきなのかを私たち一人一人に問いかけています。
今からでも遅くない。
むしろ今だからこそわかることがあります。
何が正しく、何が間違っていたのか。
私たちは今こそ問うべきなのです。
著者はこうも言っています。
今のうちから、あとのことを想像しておこう。「まさかの事態」に、もう二度と、不意を突かれないために。
(引用:著者あとがき「コロナウィルスが過ぎたあとも、僕が忘れたくないこと」)
もう一度新型コロナウィルスが、あるいは違う災害や困難な事態に陥った時に、どんな行動をとるのか。いえ、とるべきなのか。
「僕ら」はその本質を問われているのです。
この本「オーディブル」で読みました!
私がどうしても読みたいと思った新刊発売の時期には、ネット通販では本が売り切れていました。
時は折しも外出自粛要請が出ていて、本屋さんをハシゴで探すのも躊躇する時期。
そこで恐る恐る手を出したのが耳で聞く音声読書『オーディブル』だったのです。
いや、思ったより、何倍も良かった!!
てか、もっと早く聴けばよかった!!
と心から思っています…。
多分、短い章仕立ての本書は特にオーディオブックに向いているのでしょうが、司書として長年やってきた私を改心させるほど、感動しました。
司書と言えば、いやというほど「朗読」や「読み聞かせ」の効果を知っているはずだったのに、自分に当てはめて考えたことがなかったんですね。
むしろ反省してしまいました。
今回は主に夜寝る前に聴きましたが、15分タイマー機能でこの本なら3章前後聞けてしまいます。
慣れてくると、ステイホーム中に家事をしながら聴いたりして飽きる間もなく1週間ほどで読了しました。
これ、もしかしてメンドクサイ系の本にいいのかも?と思います。
気になった方はぜひ一度『オーディブル』試してみてください。目からウロコの、いい経験になりますよ、本当に!