これから教職を目指す人は、もしかしたら成功体験が多めの人かもしれません。
学ぶってこんなに楽しい!
学びは高みに連れて行ってくれるんだよ!
そう導くことはとても素晴らしく意義のあることだと思います。
でも。
その前に、もっと伝えなければならないことがあるとしたら?
学ぶより以前の、学ぶことの準備自体が不足していたらどうでしょうか?
* * * * *
ところで。
図書館にはいろんなタイプの生徒が来ます。
ワイワイとグループで来たり、
本好きが時間を惜しんで借りに来たり、
ひたすら受験勉強に利用したり、
バスや電車の待ち時間に来たり。
人懐っこい子は常連になって
お喋りのために立ち寄ったりします。
でも学校生活がうまく行っていないのかな、と思う子も少なくありません。
それはそれでいいのです。
どんな生徒だって独りになりたい時もあります。
独りの時にシェルターになれる場所は、誰にとっても必要な場所なはずですから。
だから
司書の私はウェルカム!の空気で、
威圧感を与えないように
少しだけカジュアルな服を着て、
植木鉢を並べて陰の席を作り、
緊張感を消す為に低く音楽を流して、生徒を待っているのです。
もしあなたが教師になったなら。
教室の後ろで下を向いていたり、
心が離れそうな子供がいないか
必ず見て欲しい。
そしてはぐれそうな生徒がいたら、
その後どのような対応をするかはあなたが考えなければなりません。
そんな時にヒントになりそうな本を3冊選びました。
成功体験がたくさんあるあなたには新しい視点を、
失敗体験を持つあなたなら、その時の苦しい気持ちを思い出させてくれるはずです。
そしてあなただけの教育信念を持って欲しいと願います。
すべての子どもに、温かくやさしい、そんな信念を。
『西の魔女が死んだ』梨木香歩
主人公は不登校になってしまった中学生の女の子なのだけれど、主人公の母、祖母の女性3代にわたる葛藤が描かれていると取ることもできます。
物語は主人公の祖母との心の交流を軸に、次第に自分を確立していく過程が、美しい自然を背景に丁寧に書かれています。
生徒の感想文の場合は主人公の中学生の目線で書けばよいのでしょうが、ここではぜひ3者の立場から読んで欲しいと思います。
実は祖母はイギリス女性。
ですから母はハーフ、主人公の女の子はクウォーターです。
主人公が血筋に悩む場面は出てこないのですが、ハーフだった母親は大変な思いもしたようです。
ハーフの母でさえ大変だったのですから、祖母の苦労は並大抵のものではなく、そしてそれは未だ終わってはいない。苦労の源は、偏見よりも好奇の視線です。
そんな3人の葛藤と克服の物語が「教育」を軸に語られていると読み解いてみてはどうでしょうか。
読むたびに新たな気付きが生まれる、私にとっては漱石の「こころ」のような物語です。
都度、自分の成長を示してくれるような気がしています。
最後に、西の魔女ことおばあちゃんの名言を。
「シロクマがハワイより北極で生きるほうを選んだからといって、だれがシロクマをせめますか」
なんとお見事!
『きよしこ』重松清
かなしくて、さびしくて、あったかい。
読後、そんな気持ちになりました。
「隣る人」という言葉があるそうです。(となるひと、と読みます。)
隣で見守り、寄り添い続ける存在の人のことです。
過剰に踏み込まず、必要以上に詮索もしない。
ただただ隣にいる。
この本も読んでいる間中そっと寄り添ってくれている、そんな気持ちでした。
主人公は吃音(きつおん)のある少年きよし。
音として「声」に出せる会話と、その何倍も溢れる心中の言葉の量の差に、どれほど本人が苦しんでいるか…詳細な心の内を覗くように、物語は進みます。
そして、もがきながらも少年は自分に向き合い、一歩一歩踏みしめながら成長していくのです。
この本で少年の持つ悩みは「吃音」でしたが、私は吃音=「ひとりひとりの生きづらさ」と感じながら読みました。
主人公きよしほど目立った特徴ではなくても、本人にとっては苦しいものを抱えて生きている人は多いのではないでしょうか。
コンプレックスと言ってもいいかもしれません。
それは容姿かもしれないし、他人と比べた能力かもしれない。
家庭環境、立ち位置…他人が見たら全然たいしたものではないとしても。
たとえ同じ悩みを持っていたとしても、それは個人の問題です。同じ対処法が使えるはずはないのです。
だからこの本は「隣る人」となる。
きっと励ますことと寄り添うことは違う。でも寄り添っていれば、伝わることは増えるかもしれないから。
私は「きよしこ」からそんなメッセージを受け取ったように思いました。
本書『きよしこ』は、著者の重松清さんの自伝的小説と言われています。
吃音を持つ少年の心の揺れが内側から描かれていて、大人の目で読むと、忘れていた若年者の視点・悩みなど学ぶことが多いように思います。
『アルジャーノンに花束を』
翻訳ものをいうことを忘れるほど、文章が違和感なく響きます…と書く理由は、ちょっとネタバレ気味になりますが本の内容にあります。
知的障害を持つ主人公が書く報告書という体で、物語は進んでいきます。
最初は誤字やひらがなが多くとても読みづらいのも計算のうち。
物語が進むにつれて、主人公の状況の変化に連動して、どんどん文体が読みやすくなります。
とわざわざ紹介するのは、長い物語の読みにくい文体に疲れて、途中で挫折する読者の多い本だからなのです。
今まで何人、最後まで読んでもらうために叱咤激励してきた事か(笑)
知能の高さは、幸せにつながるのか?
愛や憎しみ、喜びと孤独を知ることの意味とは?
人の心の真実とは何なのだろうか?
切ないラストに、胸に刺さる何かがあると思います。
若い皆さんの読後感に思いを馳せて、人間の尊厳、生きる意味、価値とは何かを、考えるきっかけになる本なのではないかと思います。